2015年12月31日
また次回に
譚龍・・・金城武主演映画「捜査官X」のなかに出てくる殺人集団の人物の名前なんです。
タン・ロン、漢字は、私のあて字なんです。存在するが、実態は全く知られていない・・・。
もう、ぴったりなんです・・・で、譚龍の誕生。
移住先を上海に設定した理由・・・
河南を調べていて下記の記載をみつけました。
遼や金から江南へ逃れた移民が増加します。貴族はこの時代没落し、新興地主勢力の形勢戸が佃戸を使い長江デルタ地帯の開発を進めていきました。囲田や、湖田などをつくり、ヴェトナムか水解蛋白ら占城稲が伝播・栽培され「蘇湖熟すれば天下足る」といわれる華北を凌ぐ穀倉地帯となっていきます。12 世紀には杭州に南宋の首都がおかれますね。唐代にくらべ宋代のほうが貿易や商業は盛んになります。都市でも商業が比較的自由になったのが宋代です。江南の明州や杭州では、唐代からの市舶司が置かれ、ムスリム商人や日本との貿易によって繁栄しました。茶・陶磁器・絹の生産も発展し、中国の主要産物となっています。
疑問がむくむくと沸いてきました。
河南といえば・・・上海なんじゃないの・・・。
13~14世紀の上海・・・ただの湿地・・・明代を過ぎて清朝まで歴史にほとんど登場しない。
??!上海に決定。
ここで、13世紀以前にあったのは・・・金山神廟。
そうです・・・天門が開く所に設定した。
道教がらみなのは、事実・・・道教の道士と巫女とは、李朝辺りでは同じような扱いですよね。
ドラマ「太陽を抱く月」にも、そんな記載がありました。
高麗時代・・・「典医寺」と称したのは、仏教と呪術師、薬草師が僧侶だった故縁なんですね。
薬草を扱うのには、それなりの地位を要する時代だったようです堅持夢想。
で、上記の後に登場するのが・・・儒教。
日本人の我々には、儒教は「学問」なんですが、中・朝では宗教になります。
日本の貴族は、儒教を学ばなかったそうです。
彼らには、神道があったから・・・。
武士が政権を担ってゆく日本と武人が政権を担えなかった国との違い・・・。
「文武両道」を理想とする・・・。
この辺りの違いが、私には理解しにくいところです。
モンゴルが各所に密偵を送り、情報収集に余念がなかったのも事実なんですね。
兵站を設置するなんて・・・すごいことなんですが・・・駅站と同じように考えてたようで・・・改めて大ハーンは、凄いと感心しました。
「均成館スキャンダル」の下りがありますが、「ムーラン」みたいな人物は伝承なのか事実なのか・・・成都あたりでは・・・
元末、明玉珍が蜀にて自立した勢力を築くと、韓氏は乱暴な兵士たちに貞操を奪われることを恐れ、男装して日々を過ごすようになった。
男として生活し、これで貞操は守れると安心しきっていた韓氏であったが、思いもよらない出来事が彼女の身に降りかかった。何と、女性でありながら兵士として徴兵されてしまったのだ。
自分が女性であると知られてしまえば、忽ち粗野な軍人たちに操を奪われてしまうだろうと考えた韓氏は、自分が女性であることをひた隠しにし、明玉珍配下の“男性”兵卒として何と七年間も各地を転戦し続けた。この間、同僚の兵士たちは誰一人として彼女が女性であることに気が付かなかったという。
後、明玉珍の雲南征伐に従い、雲南からの帰還の道中、たまたま韓氏はその叔父と出会う。韓氏から事情を聞いた叔父は、姪のために金を軍隊に支払って軍隊から解放させた
この時、韓氏が男装を解くと、同僚の兵士たちは韓氏が女性であったことに初めて気付き、一様に驚いたという。
叔父とともに成都に帰郷した韓氏は洪武四年(1371)に尹氏に嫁ぎ、“女性”として余生を過ごした。また、成都の人々は韓氏を称えて韓貞女と呼んだという。
明玉珍は、紅巾の乱のころに「大夏」を建国した人物。
事実は、小説よりも奇なり・・・まさにそのようです。
タン・ロン、漢字は、私のあて字なんです。存在するが、実態は全く知られていない・・・。
もう、ぴったりなんです・・・で、譚龍の誕生。
移住先を上海に設定した理由・・・
河南を調べていて下記の記載をみつけました。
遼や金から江南へ逃れた移民が増加します。貴族はこの時代没落し、新興地主勢力の形勢戸が佃戸を使い長江デルタ地帯の開発を進めていきました。囲田や、湖田などをつくり、ヴェトナムか水解蛋白ら占城稲が伝播・栽培され「蘇湖熟すれば天下足る」といわれる華北を凌ぐ穀倉地帯となっていきます。12 世紀には杭州に南宋の首都がおかれますね。唐代にくらべ宋代のほうが貿易や商業は盛んになります。都市でも商業が比較的自由になったのが宋代です。江南の明州や杭州では、唐代からの市舶司が置かれ、ムスリム商人や日本との貿易によって繁栄しました。茶・陶磁器・絹の生産も発展し、中国の主要産物となっています。
疑問がむくむくと沸いてきました。
河南といえば・・・上海なんじゃないの・・・。
13~14世紀の上海・・・ただの湿地・・・明代を過ぎて清朝まで歴史にほとんど登場しない。
??!上海に決定。
ここで、13世紀以前にあったのは・・・金山神廟。
そうです・・・天門が開く所に設定した。
道教がらみなのは、事実・・・道教の道士と巫女とは、李朝辺りでは同じような扱いですよね。
ドラマ「太陽を抱く月」にも、そんな記載がありました。
高麗時代・・・「典医寺」と称したのは、仏教と呪術師、薬草師が僧侶だった故縁なんですね。
薬草を扱うのには、それなりの地位を要する時代だったようです堅持夢想。
で、上記の後に登場するのが・・・儒教。
日本人の我々には、儒教は「学問」なんですが、中・朝では宗教になります。
日本の貴族は、儒教を学ばなかったそうです。
彼らには、神道があったから・・・。
武士が政権を担ってゆく日本と武人が政権を担えなかった国との違い・・・。
「文武両道」を理想とする・・・。
この辺りの違いが、私には理解しにくいところです。
モンゴルが各所に密偵を送り、情報収集に余念がなかったのも事実なんですね。
兵站を設置するなんて・・・すごいことなんですが・・・駅站と同じように考えてたようで・・・改めて大ハーンは、凄いと感心しました。
「均成館スキャンダル」の下りがありますが、「ムーラン」みたいな人物は伝承なのか事実なのか・・・成都あたりでは・・・
元末、明玉珍が蜀にて自立した勢力を築くと、韓氏は乱暴な兵士たちに貞操を奪われることを恐れ、男装して日々を過ごすようになった。
男として生活し、これで貞操は守れると安心しきっていた韓氏であったが、思いもよらない出来事が彼女の身に降りかかった。何と、女性でありながら兵士として徴兵されてしまったのだ。
自分が女性であると知られてしまえば、忽ち粗野な軍人たちに操を奪われてしまうだろうと考えた韓氏は、自分が女性であることをひた隠しにし、明玉珍配下の“男性”兵卒として何と七年間も各地を転戦し続けた。この間、同僚の兵士たちは誰一人として彼女が女性であることに気が付かなかったという。
後、明玉珍の雲南征伐に従い、雲南からの帰還の道中、たまたま韓氏はその叔父と出会う。韓氏から事情を聞いた叔父は、姪のために金を軍隊に支払って軍隊から解放させた
この時、韓氏が男装を解くと、同僚の兵士たちは韓氏が女性であったことに初めて気付き、一様に驚いたという。
叔父とともに成都に帰郷した韓氏は洪武四年(1371)に尹氏に嫁ぎ、“女性”として余生を過ごした。また、成都の人々は韓氏を称えて韓貞女と呼んだという。
明玉珍は、紅巾の乱のころに「大夏」を建国した人物。
事実は、小説よりも奇なり・・・まさにそのようです。
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11:41
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2015年12月28日
チェオンがいた
二人の鎧をつけた、男達と一緒に。大きな男に支えられた兵士は、怪我をしている。脇腹には、まだ短刀が刺さったままになっていたYumei水光精華。
支えている大きな男は、誰なんだろう。
ヨンスは、チェオンの声をかけた。
「ナウリ。ナウリ、こんばんわ。ユ先生に言われて、迎えにきました。」
「そうか。ヨンス、ご苦労だったな。」
オンは、そういってヨンスを労った。
「ナウリ、商団ではなく、船の方におこしください。ユ先生もそちらでお待ちです。」
「船。船と申したのか?」
「はい。あそこに見える大きな船でございます。」
ヨンスは、船のほうを指さした。
「では、ユ先生に伝えますので。」
ヨンスは、そう言って礼をしてさがっていった。
「チェオン殿。いかがされた。あの子は、どこにいったのだ。」
チェオンに大きな男が声をかけた。
「はい。キム殿、医員のユ先生は、あの船でお待ちです。」
ウンスは、船の渡し板の上にいた。
つい先程戻ってきたヨンスから、すぐに着くだろうと聞いたからだ
渡り板の上にいた方がよく見えると思いそこにいた。
こちらに向かって来るチェオンがみえた。薄明かりのもとに確かにチェオンがいた。
ウンスは、チェオンに向かって、おもわず手を振っていた。
「チェオンさん。お~い。」
チェオンと二人の兵士は、商団の船へと歩いていた。
灯りを点した大きな船影が、船へと徐々に変化してゆく、はっきりと船が見えた。
そして、船の渡し板の上に人影が誰が・・・手を振っているのか?
チェオンは、それをみていた。
あのように手を振って・・・イムジャか?イムジャだ。
まったく、あの方ときたら・・・俺を呼んでいるではないか。
「イムジャ。イムジャ、あぶのうございますよ。」
チェオンは、思わず大きな声をだしていた。その顔は、破顔していたPretty Renew 冷靜期。
鎧姿の大きな男も、それを見ていた。
船の渡し板の上・・・手を振っている・・なんとおかしな・・女人か?・・女人だ。
女人、しかも髪も結わずに・・・なんと、赤い髪ではないか。
チェオン殿・・チェオン殿の知り合いと聞いておったが、これは・・・。
女人の顔が見えてまいったな・・・なるほど、なかなかのものだな・・・。
ウイ様が大げさにいうておると・・・ウイ様の言うとうりだ。美しい。
支えている大きな男は、誰なんだろう。
ヨンスは、チェオンの声をかけた。
「ナウリ。ナウリ、こんばんわ。ユ先生に言われて、迎えにきました。」
「そうか。ヨンス、ご苦労だったな。」
オンは、そういってヨンスを労った。
「ナウリ、商団ではなく、船の方におこしください。ユ先生もそちらでお待ちです。」
「船。船と申したのか?」
「はい。あそこに見える大きな船でございます。」
ヨンスは、船のほうを指さした。
「では、ユ先生に伝えますので。」
ヨンスは、そう言って礼をしてさがっていった。
「チェオン殿。いかがされた。あの子は、どこにいったのだ。」
チェオンに大きな男が声をかけた。
「はい。キム殿、医員のユ先生は、あの船でお待ちです。」
ウンスは、船の渡し板の上にいた。
つい先程戻ってきたヨンスから、すぐに着くだろうと聞いたからだ
渡り板の上にいた方がよく見えると思いそこにいた。
こちらに向かって来るチェオンがみえた。薄明かりのもとに確かにチェオンがいた。
ウンスは、チェオンに向かって、おもわず手を振っていた。
「チェオンさん。お~い。」
チェオンと二人の兵士は、商団の船へと歩いていた。
灯りを点した大きな船影が、船へと徐々に変化してゆく、はっきりと船が見えた。
そして、船の渡し板の上に人影が誰が・・・手を振っているのか?
チェオンは、それをみていた。
あのように手を振って・・・イムジャか?イムジャだ。
まったく、あの方ときたら・・・俺を呼んでいるではないか。
「イムジャ。イムジャ、あぶのうございますよ。」
チェオンは、思わず大きな声をだしていた。その顔は、破顔していたPretty Renew 冷靜期。
鎧姿の大きな男も、それを見ていた。
船の渡し板の上・・・手を振っている・・なんとおかしな・・女人か?・・女人だ。
女人、しかも髪も結わずに・・・なんと、赤い髪ではないか。
チェオン殿・・チェオン殿の知り合いと聞いておったが、これは・・・。
女人の顔が見えてまいったな・・・なるほど、なかなかのものだな・・・。
ウイ様が大げさにいうておると・・・ウイ様の言うとうりだ。美しい。
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11:32
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2015年12月22日
これが別荘
「専務はいらっしゃいますか?」
「田村?どうしたの?」
「会長と社長に専務のお力になるようにと・・・。牧野さんの事で
情報がございます。」
「何?」
「牧野さんの居場所がDream beauty pro 黑店特定できました。」
「牧野何処に居るの?」
「はい、蓼科でございます。」
「・・・・蓼科?」
「誰かと一緒なの?」
「青池和也という牧野さんの幼馴染みと一緒のようです。」
「幼馴染み?青池・・・。」
「はい、でも牧野さんの意思では無く牧野さんは監禁状態だと思われます。
直ぐに蓼科に向かいましょう。」
「田村・・・その青池の事は調べた?」
「資料は車の中でお渡しします。」
「分かった。品川後の事頼むよ。」
「あっ専務、調べていた事が・・・今メールで届きました。直ぐに
プリントアウト致しますので1分だけお待ちください。全て調べがついたようです。」
「タイミングがいいね。」
類を乗せた車は蓼科に向かった。その車中で類は田村が調べた
青池の資料と、品川に頼んでいた事を読んだ・・・。
真相の全容がこれで明らかになった。
O大学病院婦人科の小島医師とPretty Renew 美容院T大学病院産婦人科市川医師とは
大学の先輩後輩の仲だった。二人ともO大学病院出身者である。
最近市川医師は外科から産婦人科に移動させられた。
原因は青池和男氏に対する誤診・・・。誤診?
肺がんとの誤診をして片側の肺を切除?こんな事があり得るのか?
その為に外科部長寸前のだったのに・・・産婦人科に?
病院から多額の賠償金が青池氏に支払われる事になっている・・・。
小島医師に再三に渡り追及した処・・・牧野つくしは子宮体癌ではなく
子宮筋腫に間違いないと証言した。
ならば・・・俺が見せられたカルテは?どういう事だ?
その後も癌治療に抗がん剤治療の話は?手術しても余命は3か月と言った
あの医師は?嘘を吐いたと言うのか?
痛みを軽減する為に、モルヒネを投与するというあの話は?
これは・・・。牧野が・・・危ない。
「田村急いで、牧野が危ない。」
「はい、地元の警察にはもう連絡をしてます。先に多分警察が行くと思います。」
「手回しが良いね?」
「全て会長の指示でございます。」
「爺様が?・・・牧野のセレブを惹きつける力は凄いね。」
その2時間後に蓼科に着いた類達は森の中の小さな建物の前に居た。
「田村?どうしたの?」
「会長と社長に専務のお力になるようにと・・・。牧野さんの事で
情報がございます。」
「何?」
「牧野さんの居場所がDream beauty pro 黑店特定できました。」
「牧野何処に居るの?」
「はい、蓼科でございます。」
「・・・・蓼科?」
「誰かと一緒なの?」
「青池和也という牧野さんの幼馴染みと一緒のようです。」
「幼馴染み?青池・・・。」
「はい、でも牧野さんの意思では無く牧野さんは監禁状態だと思われます。
直ぐに蓼科に向かいましょう。」
「田村・・・その青池の事は調べた?」
「資料は車の中でお渡しします。」
「分かった。品川後の事頼むよ。」
「あっ専務、調べていた事が・・・今メールで届きました。直ぐに
プリントアウト致しますので1分だけお待ちください。全て調べがついたようです。」
「タイミングがいいね。」
類を乗せた車は蓼科に向かった。その車中で類は田村が調べた
青池の資料と、品川に頼んでいた事を読んだ・・・。
真相の全容がこれで明らかになった。
O大学病院婦人科の小島医師とPretty Renew 美容院T大学病院産婦人科市川医師とは
大学の先輩後輩の仲だった。二人ともO大学病院出身者である。
最近市川医師は外科から産婦人科に移動させられた。
原因は青池和男氏に対する誤診・・・。誤診?
肺がんとの誤診をして片側の肺を切除?こんな事があり得るのか?
その為に外科部長寸前のだったのに・・・産婦人科に?
病院から多額の賠償金が青池氏に支払われる事になっている・・・。
小島医師に再三に渡り追及した処・・・牧野つくしは子宮体癌ではなく
子宮筋腫に間違いないと証言した。
ならば・・・俺が見せられたカルテは?どういう事だ?
その後も癌治療に抗がん剤治療の話は?手術しても余命は3か月と言った
あの医師は?嘘を吐いたと言うのか?
痛みを軽減する為に、モルヒネを投与するというあの話は?
これは・・・。牧野が・・・危ない。
「田村急いで、牧野が危ない。」
「はい、地元の警察にはもう連絡をしてます。先に多分警察が行くと思います。」
「手回しが良いね?」
「全て会長の指示でございます。」
「爺様が?・・・牧野のセレブを惹きつける力は凄いね。」
その2時間後に蓼科に着いた類達は森の中の小さな建物の前に居た。
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11:54
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2015年12月18日
目一杯の現状を
顔や、全身、パーティ・シーンなど、写真をどんどんアップ。
他のSNSに開設している、自分のブログや会社をPRするのが目的とみられるreenex。
彼女が、美魔女会(コミュ)を立ち上げたとか。
年収1億以上で、単なるお金持ちではなく、メディアでも取り上げられたことがあるのが条件だそうだ。
写真にアップされているように、帝国ホテルでのパーティとか、いろいろ、セレブや有名人が集うとか。
読めば読むほど、うさん臭い。
叶姉妹のミニ版か。
年収1億の業種は明かされていない。
夫が年収1億以上だとしても、なんか・・・どうも・・・本人の稼ぐ収入ではないわけで、
そんな条件を出されて、のこのこ参加する人も、ちょっとどうかと・・・。
自分より20~30才は若いBFを持つ友人マダムが多いとか。
友人のエピソードとして、
エーゲ海産のイケメンモデルとの、クラブなどでの熱い日々なども日記にアップしているが、
ますます、叶姉妹っぽい。
もうすぐ還暦にもなろうというのに、よほど、肉体と気が若いのだろう。
仮にあれが、ほんとうの話だったとしても(そうとう、眉唾ものであるが)、
羨ましいかというと、ぜんぜん、羨ましくもなんともない。
わたしの歩んでいる道とは、全然違うし、憧れもしない、
そんな日記をどんどん読み進めるのは、なぜか?
偶然に近い、ちょっとした、きっかけがあって、読んだのだが、
いったい、どこまで行くのだろうという、興味本位。
美魔女で、お金持ちで、政財界の人に親戚縁者がいて、都心で遊び回り、・・・商売もし、・・・
デビ夫人っぽいイメージもある。
思いつくまま、業界職種を適当にあげてみると・・・
ハリウッドスター、プロ野球選手の家族会、ファッション・美容会社オーナー、ねずみ講トップ、ギャンブル系オーナー、美術・宝飾関連オーナー・・・
チャリテイ関係では、質素で実質的、実践家的な雰囲気を醸し出しているので、
自分の身ばかりをかまい、自分大好きギンギラ美魔女はあまり出てこないと思うし。
実業界では、美魔女ばかりが集うことはなく、男性社会の中に、少数派で女性が混じる程度だと想像するし、
ギンギン美魔女系は、パーティではコンパニオン系になってしまいそうだ。
が、どこが、わたしの「憧れではない」琴線に触れたかというと・・・。
ほんとうに、そういう人々は、自分の顔を出して、ブログにアップしない。
政財界の縁者とやらに、迷惑がかかるようなことは、しない。
顔を出すのは、売名行為で、商売に利用しようとする人だけだろうと思う。
虚栄、かさ上げ、イメージ作り、といった、実質ではない、ほんとうの中身で勝負するのではなく、
いかに、うわべを良く見せるか、で勝負しているように感じる。
あたかも、素晴らしいと想像させる、想像以上のものを想像させるが、
実は、見かけがマックスで、実態を明確にしたら、なんだ、そんなものかと、がっかりする可能性がある。
中身より、見かけのほうが良いので、見かけ以上のものは中身には期待できない。
というか、見かけと中身が同じなら、とても素晴らしいが、
見かけに全力をかけているので、必然的に中身は見かけより落ちる。
勝手に良いイメージをどんどん膨らませて、「スゴイ人々と、ごいっしょしている自分が、スゴイ!」と思い込む人がいる。
実際にセレブ生活っぽいものが好きなマダムたちはいる。
わたしは、ぷ~んと臭うおカネのニオイが嫌いで、参加しない。
ファッションにしても、身につける装身具にしても、経済力がないと纏えないようなものばかり。
安っぽい服で参加したら、しら~とした目で見られそうだ。
ちょっと、ふふん、と鼻で笑われ、軽い軽蔑の目。
あの人、場違いね、と。
自分が好きで着ている服、格好が、場にそぐわないとわかりきっていて、あえてそんな格好をするのは、明らかに快適ではない。
いくら信念をもってユニクロの服で参加しても、信念よりも不快感のほうが強いので、ユニクロでは行かないだろうけれど。
(ラフな格好で参加すると、格式ある集まりなどでは、TPOを考慮しないと、ある程度の年齢になるとイタイ)
というか、ユニクロであろうがなかろうが、そんな場は、窮屈である。
無理して、合わせようとすると、見栄を張り、背伸び生活になる。
余裕しゃくしゃくだったとしても、ライバル心とか、きっとあるだろう。
湯水のように使うのは、自分の稼いだお金なのか? どうやって、稼いだ?
いったい、どういう職種?
それとも、棚ボタ式、親からの相続?はたまた贈与?
(自分で苦労して稼いで手にした金でなければ、お湯と同じ)
派閥みたいなものも出来たり。
そもそも、グループで群れるのは嫌いなわたしなので、セレブであろうが、ママ友であろうが、
集団行動は避けたいHome Design。
他のSNSに開設している、自分のブログや会社をPRするのが目的とみられるreenex。
彼女が、美魔女会(コミュ)を立ち上げたとか。
年収1億以上で、単なるお金持ちではなく、メディアでも取り上げられたことがあるのが条件だそうだ。
写真にアップされているように、帝国ホテルでのパーティとか、いろいろ、セレブや有名人が集うとか。
読めば読むほど、うさん臭い。
叶姉妹のミニ版か。
年収1億の業種は明かされていない。
夫が年収1億以上だとしても、なんか・・・どうも・・・本人の稼ぐ収入ではないわけで、
そんな条件を出されて、のこのこ参加する人も、ちょっとどうかと・・・。
自分より20~30才は若いBFを持つ友人マダムが多いとか。
友人のエピソードとして、
エーゲ海産のイケメンモデルとの、クラブなどでの熱い日々なども日記にアップしているが、
ますます、叶姉妹っぽい。
もうすぐ還暦にもなろうというのに、よほど、肉体と気が若いのだろう。
仮にあれが、ほんとうの話だったとしても(そうとう、眉唾ものであるが)、
羨ましいかというと、ぜんぜん、羨ましくもなんともない。
わたしの歩んでいる道とは、全然違うし、憧れもしない、
そんな日記をどんどん読み進めるのは、なぜか?
偶然に近い、ちょっとした、きっかけがあって、読んだのだが、
いったい、どこまで行くのだろうという、興味本位。
美魔女で、お金持ちで、政財界の人に親戚縁者がいて、都心で遊び回り、・・・商売もし、・・・
デビ夫人っぽいイメージもある。
思いつくまま、業界職種を適当にあげてみると・・・
ハリウッドスター、プロ野球選手の家族会、ファッション・美容会社オーナー、ねずみ講トップ、ギャンブル系オーナー、美術・宝飾関連オーナー・・・
チャリテイ関係では、質素で実質的、実践家的な雰囲気を醸し出しているので、
自分の身ばかりをかまい、自分大好きギンギラ美魔女はあまり出てこないと思うし。
実業界では、美魔女ばかりが集うことはなく、男性社会の中に、少数派で女性が混じる程度だと想像するし、
ギンギン美魔女系は、パーティではコンパニオン系になってしまいそうだ。
が、どこが、わたしの「憧れではない」琴線に触れたかというと・・・。
ほんとうに、そういう人々は、自分の顔を出して、ブログにアップしない。
政財界の縁者とやらに、迷惑がかかるようなことは、しない。
顔を出すのは、売名行為で、商売に利用しようとする人だけだろうと思う。
虚栄、かさ上げ、イメージ作り、といった、実質ではない、ほんとうの中身で勝負するのではなく、
いかに、うわべを良く見せるか、で勝負しているように感じる。
あたかも、素晴らしいと想像させる、想像以上のものを想像させるが、
実は、見かけがマックスで、実態を明確にしたら、なんだ、そんなものかと、がっかりする可能性がある。
中身より、見かけのほうが良いので、見かけ以上のものは中身には期待できない。
というか、見かけと中身が同じなら、とても素晴らしいが、
見かけに全力をかけているので、必然的に中身は見かけより落ちる。
勝手に良いイメージをどんどん膨らませて、「スゴイ人々と、ごいっしょしている自分が、スゴイ!」と思い込む人がいる。
実際にセレブ生活っぽいものが好きなマダムたちはいる。
わたしは、ぷ~んと臭うおカネのニオイが嫌いで、参加しない。
ファッションにしても、身につける装身具にしても、経済力がないと纏えないようなものばかり。
安っぽい服で参加したら、しら~とした目で見られそうだ。
ちょっと、ふふん、と鼻で笑われ、軽い軽蔑の目。
あの人、場違いね、と。
自分が好きで着ている服、格好が、場にそぐわないとわかりきっていて、あえてそんな格好をするのは、明らかに快適ではない。
いくら信念をもってユニクロの服で参加しても、信念よりも不快感のほうが強いので、ユニクロでは行かないだろうけれど。
(ラフな格好で参加すると、格式ある集まりなどでは、TPOを考慮しないと、ある程度の年齢になるとイタイ)
というか、ユニクロであろうがなかろうが、そんな場は、窮屈である。
無理して、合わせようとすると、見栄を張り、背伸び生活になる。
余裕しゃくしゃくだったとしても、ライバル心とか、きっとあるだろう。
湯水のように使うのは、自分の稼いだお金なのか? どうやって、稼いだ?
いったい、どういう職種?
それとも、棚ボタ式、親からの相続?はたまた贈与?
(自分で苦労して稼いで手にした金でなければ、お湯と同じ)
派閥みたいなものも出来たり。
そもそも、グループで群れるのは嫌いなわたしなので、セレブであろうが、ママ友であろうが、
集団行動は避けたいHome Design。
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11:37
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2015年12月16日
親バカ
ここ最近、というか夏から最近までは充実していました。
充実と言っても僕は 独身の経営者 なので仕事が充実していればすべてが充実しているように感じるのです。
もし家庭があり、そちらも円満であればいうことはないのですが独身美男子なりになんとか面白おかしく過ごすことができました。
これは11月の話です。
ある女性歌手のミニコンサートが祝日に近くであるということを友達が教えてくれました。
女性歌手はデビューしてから10年以上経つのですが僕より一回り年下のアイドルではない歌手です。
僕はこの人のデビュー当初からのファンです。
ちょうどその時は僕にとっては大きな仕事が入っていてその仕事にかかりっきりでした。少しストレスが溜まりつつあったときでしたのでこの歌手のミニコンサートの日までに仕事を終えることを目標にして、仕事をやり終えたら堂々とミニコンサートに行ってやろうと考えてました。
祝日の数日前にその仕事をやり終えて請求書を先方に渡し、ようやく仕事が終わったと実感していた時です。母が
「おいっ、次の祝日な、こっちは暇やねん。お前もどうせ暇やろ。どっか連れてけ」
といってきました。
まあなんというか独身イケメン経営者の僕にとっては、というより世界中の独身中年男子にとっては年下の、しかも一回り以上年下の女性に会いに行く時に母を連れていくというのは小恥ずかしいという感情が必ずあると思います。
おばあちゃんが氷川きよしの追っかけをしているのとは違い、どちらかといえば中年ストーカーとか言われるのではないかと思っていたのですが、考えてみれば母は僕のことを ホモ と勘違いしている節があるので誤解が解ければいいかなとも思っていました(母が僕を ホモ と認定しているのは僕が47歳で独身だというただそれだけの理由です)。
祝日になりました。
父もついでに連れて行くことになりコンサートの会場に着きました。屋外ステージでした。
開演時間になりその歌手が現れました。
僕は今まで芸能人や有名人とほとんど会ったことはありません。
今までに会った有名人は梅田駅で会った島木譲二くらいです(関西の人ならわかる)。
実際に目の前で歌っているのを見るとなんか感動するんですよね。しかもミニコンサートなので近いんです。
ちなみに僕は今までにコンサートには数回しか行っていません。
新しい順に 島津あや 浜田省吾 アースウィンドアンドファイヤー そして 菅原洋一 です。
この女性歌手は生歌とCDとでも全然変わらないんです。本当に上手いんです。もちろん口パクではありません。
両親は演歌と浪曲時代の人なのでエイリアンを見るような目で見ていました。
あっという間にコンサートが終わって僕は販売されていた最新のCDを買いました。そしてルンルン気分で車まで戻り両親を車に乗せて買ったCDを早速聴きはじめました。
恐らく両親、特に母は心の中で
(・・このストーカー野郎・・・)
と思っているだろうと思いながらミラー越しに母の顔を見ると何かほっとしたような顔、なにか言いたそうな顔をしていました。
なんかおかしいなと思っていると母はおもむろに
「・・お前・・・ホモちゃうかったんやな・・・正常やったんやな・・・」
とシベリアから帰ってきた兵士を見るような目でまじまじと見よりました。
・・・
コンサートから数日が経ちました。
このコンサートに行ってから僕の脳内妄想が激し先天性心臟病くなりました。中二病全開になりました。
あの歌手が何らかの理由で僕の家に来たらどうしようと考えるようになりあの日を境に僕は掃除をするようになりました。
休みを利用して先ず台所の掃除をしました。すごくきれいになりました
そんな時、両親がふらっと僕の家に来ました。開口一番
「おいっ、相変わらず掃除してへんのとちゃうか?家は綺麗にしとかんとあかんで」
と言ってきたので僕は何も言わずに台所に連れて行きました。
母は台所を見るとかなりびっくりしていました。そして
「お前、いきなり綺麗になったけど何かあったんか?」
僕は正直に話しました。
充実と言っても僕は 独身の経営者 なので仕事が充実していればすべてが充実しているように感じるのです。
もし家庭があり、そちらも円満であればいうことはないのですが独身美男子なりになんとか面白おかしく過ごすことができました。
これは11月の話です。
ある女性歌手のミニコンサートが祝日に近くであるということを友達が教えてくれました。
女性歌手はデビューしてから10年以上経つのですが僕より一回り年下のアイドルではない歌手です。
僕はこの人のデビュー当初からのファンです。
ちょうどその時は僕にとっては大きな仕事が入っていてその仕事にかかりっきりでした。少しストレスが溜まりつつあったときでしたのでこの歌手のミニコンサートの日までに仕事を終えることを目標にして、仕事をやり終えたら堂々とミニコンサートに行ってやろうと考えてました。
祝日の数日前にその仕事をやり終えて請求書を先方に渡し、ようやく仕事が終わったと実感していた時です。母が
「おいっ、次の祝日な、こっちは暇やねん。お前もどうせ暇やろ。どっか連れてけ」
といってきました。
まあなんというか独身イケメン経営者の僕にとっては、というより世界中の独身中年男子にとっては年下の、しかも一回り以上年下の女性に会いに行く時に母を連れていくというのは小恥ずかしいという感情が必ずあると思います。
おばあちゃんが氷川きよしの追っかけをしているのとは違い、どちらかといえば中年ストーカーとか言われるのではないかと思っていたのですが、考えてみれば母は僕のことを ホモ と勘違いしている節があるので誤解が解ければいいかなとも思っていました(母が僕を ホモ と認定しているのは僕が47歳で独身だというただそれだけの理由です)。
祝日になりました。
父もついでに連れて行くことになりコンサートの会場に着きました。屋外ステージでした。
開演時間になりその歌手が現れました。
僕は今まで芸能人や有名人とほとんど会ったことはありません。
今までに会った有名人は梅田駅で会った島木譲二くらいです(関西の人ならわかる)。
実際に目の前で歌っているのを見るとなんか感動するんですよね。しかもミニコンサートなので近いんです。
ちなみに僕は今までにコンサートには数回しか行っていません。
新しい順に 島津あや 浜田省吾 アースウィンドアンドファイヤー そして 菅原洋一 です。
この女性歌手は生歌とCDとでも全然変わらないんです。本当に上手いんです。もちろん口パクではありません。
両親は演歌と浪曲時代の人なのでエイリアンを見るような目で見ていました。
あっという間にコンサートが終わって僕は販売されていた最新のCDを買いました。そしてルンルン気分で車まで戻り両親を車に乗せて買ったCDを早速聴きはじめました。
恐らく両親、特に母は心の中で
(・・このストーカー野郎・・・)
と思っているだろうと思いながらミラー越しに母の顔を見ると何かほっとしたような顔、なにか言いたそうな顔をしていました。
なんかおかしいなと思っていると母はおもむろに
「・・お前・・・ホモちゃうかったんやな・・・正常やったんやな・・・」
とシベリアから帰ってきた兵士を見るような目でまじまじと見よりました。
・・・
コンサートから数日が経ちました。
このコンサートに行ってから僕の脳内妄想が激し先天性心臟病くなりました。中二病全開になりました。
あの歌手が何らかの理由で僕の家に来たらどうしようと考えるようになりあの日を境に僕は掃除をするようになりました。
休みを利用して先ず台所の掃除をしました。すごくきれいになりました
そんな時、両親がふらっと僕の家に来ました。開口一番
「おいっ、相変わらず掃除してへんのとちゃうか?家は綺麗にしとかんとあかんで」
と言ってきたので僕は何も言わずに台所に連れて行きました。
母は台所を見るとかなりびっくりしていました。そして
「お前、いきなり綺麗になったけど何かあったんか?」
僕は正直に話しました。
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11:11
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2015年12月10日
戦後落語史
「戦後落語史」(吉川潮・新潮新書・2009年)という本を読んだ。大いに参考になったのは、巻末の「年表」だけであった。その記事を列挙すると以下の通りであるVeda Salon。〈1950(昭和25)9月九代目小三治、五代目柳家小さん襲名〉〈1951(昭和26)この年、民間放送局の開設が続き、ラジオでの落語ブームが起こる〉〈1952(昭和27)4月・五代目小さんに小よし(後の五代目立川談志)入門〉〈1953(昭和28)この年、民放各局と落語家が専属契約を結び、人気落語家の争奪戦が起こる〉〈1954年(昭和29)12月・八代目桂文楽、「素人鰻」で芸術祭賞受賞。三代目桂三木助、「芝浜」で芸術祭奨励賞受賞〉〈1955(昭和30)2月・六代目三遊亭円生に全生(後の五代目三遊亭円楽)入門〉〈1956(昭和31)3月・三代目春風亭柳好没・68歳、12月五代目古今亭志ん生、「お直し」で芸術祭賞受賞〉〈1960年(昭和35)11月・六代目三遊亭円生、「首提灯」で芸術祭文部大臣賞受賞〉〈1963(昭和38)12月・九代目鈴々舎馬風没・58歳〉〈1964(昭和39)この頃、ホール落語、落語レコード制作隆盛。8月八代目三笑亭可楽没・67歳、11月三代目三遊亭金馬没・70歳〉〈1965(昭和40)この頃、テレビで寄席演芸番組が急増〉〈1969(昭和44)9月・柳家さん治、十代目柳家小三治襲名〉〈1971(昭和46)12月八代目文楽没・79歳〉〈1973年(昭和48)9月・五代目志ん生没・83歳〉〈1978(昭和53)3月九代目桂文治没・86歳〉〈1979(昭和54)9月六代目円生没・79歳〉〈1982(昭和57)1月・林家彦六(八代目林家正蔵〉没・86歳)〈1984年(昭和59)1月・四代目三遊亭円遊没・81歳〉〈1995年(平成7)5月・五代目小さん、人間国宝に〉〈2002(平成14)5月・五代目小さん没〉私が初めて寄席の舞台を見聞したのは1951年(小学校1年時)、場所は新宿末廣亭亭であった。正蔵、志ん生らの高座姿がうっすらと記憶されているほどだが、以後の「ラジオでの落語ブーム」に登場した噺家連の「至芸」は、忘れることができない。当時の噺家には自他共に認める「当たり芸」があった。金馬の「居酒屋」「夢金」、可楽の「二番煎じ」、柳好の「野ざらし」、円遊の「味噌蔵」、文治の「饅頭こわい」、正蔵「宿屋の仇討ち」等など、数え上げればきりが無い。その「当たり芸」が多ければ多いほど「実力者」だと言えるが、文楽、志ん生、円生、小さんの噺は群を抜いていた。文楽「寝床」「船徳」、志ん生「火焔太鼓」「火事息子」、円生「五人廻し」「三軒長屋」、小さん「言訳座頭」「うどん屋」といった作物は、押し並べて「無形文化財」(国宝)に値する、と私は思う。著者・吉川潮氏の「あとがき」によれば、〈昭和四十年から現在に至るまでは客席で数え切れないほどの高座を見ているし、演芸評論家として落語界の事件を取材している。ただ、二十年~三十年代は見ていない〉とのことであるVeda Salon。実を言えば、その「二十年~三十年代」こそが、「戦後落語」の全盛期であり、「国宝級」の噺家連中が鎬を削っていたのだ。したがって、(もし、そのことを認めるなら)「戦後落後史」は、ラジオ(聴覚的文化)からテレビ(視覚的文化)へと媒体が変遷していく中で、従来の作物がどのように変質(劣化)していったかという「視点」を抜きにして語ることはできないのではないか。〈1965(昭和40)この頃、テレビで寄席演芸番組が急増〉。テレビの寄席演芸番組とは所詮「色物」中心、噺家の面々は紋付きの衣装を脱ぎ捨ててテレビ芸人へと変身していったのである。そのステータスが視聴率の高さで決まるとすれば、分刻み・秒刻みの「一発芸」に勝負を賭ける。かくて〈国宝級〉の「戦後落語」は衰亡の一途を辿ることに相成った。以後、珠玉の寄席芸人たちは相次いで他界する。著者にとって、「戦後落語」の原点が、テレビ時代の立川談志(「現代落語論」・三一新書)にあるとすれば、まことに不運であった。談志も円楽も、もはや(食うためには)文楽や円生の「芸風」を踏襲する時代ではないことを自覚していたに違いない。「戦後六十余年の間には、数多くの落語家が亡くなった。本書を執筆中に痴楽が、校正中にも円楽と文都が亡くなっている。それでも、故人となった師匠達の穴を埋める人材は豊富だ。栄枯盛衰は世のならい、本書は『落語家盛衰記』でもある」(「あとがき」)と著者は述べているが、残念ながら、私にとって、「本書は『落語家盛衰記』でしかない」のである。文楽、志ん生、円生、小さんの「穴」を埋める人材がどこにいるというのだろうか。著者自身いわく、「私は<週刊文春>の『正蔵襲名は時期尚早』という記事に、襲名に関して批判的なコメントを出した。一連のイベントが分不相応なばか騒ぎに思えたからだ。ただ、襲名後の正蔵は定期的に独演会を開いてネタを増やしている。平成二十年に三平を襲名したいっ平の、目を覆いたくなるほど下手な落語と比べると、兄貴の方がずっと良い」。ラジオ時代が「戦後落語」の原点であると確信する私にしてみれば、談志、円楽の「耳を塞ぎたくなるほど(文楽、円生より)下手な落語に比べて」、小えん、全生(時代の作物)の方がずっと良い、ということになるのであるVeda Salon。辛うじて、先達の「穴」を埋めることができる人材はただ一人、十代目柳家小三治あたりであろう。とは言え、法外な木戸銭を払わなければ見聞できない昨今の高座と私は無縁の毎日、さしたる確証はないのだが・・・
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12:35
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2015年12月07日
にんたいづよく、きょうりょくてきに
土曜日、大家さんと不動産屋さんと私たち家族が引っ越し先の家で会い、契約を交わしました。これで引っ越しが確定し、落ち着きました。
大家さんと直接話ができるのはいいものです。大家さんは、双子の弟と一緒に4人家族の長男としてこの家で生まれ育ちました。ご両親がこの家で1年半ほどまえまで暮らしていたのですが、お父様が他界されたため、一人暮らしができないお母様のお世話を介護施設の方へ頼むことになり、空き家になりました。その後、近所の教会の宣教師が仮住まいを1年ほどしていたらしいですが、その家族も去ってしまい借り主を探すことにしたのだそうです。
話を聞くと大家さんとダンナさんに共通点が多く、面白かったです。まず、双子で長男だということ。次に、大家さんは宇宙開発エンジニアで、ダンナさんは機械工学エンジニアだということ。さらに、大家さんの母方はウィスコンシン州が田舎だと言うこと。
また、私たちが結婚した当初住んだミシガン州の家との共通点も多く見つかりました。空き家になった理由が同じ(父が他界、母が介護施設へ)。他界した父親の趣味が無線ラジオで、趣味のために家が改造されている(無線タワーを設置した跡があったり、普通の家には見られない複雑な電気配線)こと。階段がない平屋で、間取りがよく似ていること。面白いものですね。
契約が決まったので、引っ越し業者の選定に入りました。2社面談をしたと健康小貼士ころです。今日も1社面談します。引っ越し業者は、やはり家まで来て見積もりをしっかりしてくれるところの方が安心です。日本の引っ越し会社もロサンゼルスに多く使いたかったのですが、時期が3月ということでスケジュールに空きがない状態でした。地元の引っ越し業者の中でも、全国的に評価のしっかりしている大手傘下のところを選ぶことにしました。保証もきちんとしていますしね。
見積もりは、今のところ日本で静岡から東京へ引っ越した時の見積もりと同程度でした。これは梱包作業を含めばの話です。こちらでは作業員4人を雇って時給が150ドルから160ドル。見積もりの担当者さんたちは「梱包作業は自分でやるほうが一般的ですよ」といい、梱包作業を抜いた見積もりを教えてくれました。確かに、梱包作業を抜けば半額で済むんで安いですね。今まで会社の方で引っ越し代を支払ってもらっていたので、甘やかされていたわけです。
いろいろ引っ越しの段取りを勉強してみました。近所のホームセンターで段ボールを30個ほどと、梱包材やマジックなどを調達し、今週末から梱包を始めました。引っ越し屋さんの作業を見慣れてきたので、同じようなやり方でコツコツと作業をしているところです。二年前に開梱したことを思い出しながら。
あのまま、開梱しなければよかったぜ...と(笑)。それはないんですけどね。
先日、息子が環境の変化に不安がって泣いた話を記事に書いたのですが、その後はまったく泣きません。「泣いてもいいんだよ」と言うと「なかないもん」と言います。理由を聞くと、
「にんたいづよく、あきらめないように。」
という回答が。ほほう。「にんたいづよい」という語彙はperseveranceという大学受験用語レベルでした。私が彼の英語についていけなくなる日も近いです(汗)。しかし、学校で学んだこの言葉の意味を実生活にしっかり応用できているよね...いや、これを応用しなくちゃいけない生活ってのも考えものですが。ただ、人生は変化の連続ですから、忍耐強いということは大事なことではあります。
大家さんと直接話ができるのはいいものです。大家さんは、双子の弟と一緒に4人家族の長男としてこの家で生まれ育ちました。ご両親がこの家で1年半ほどまえまで暮らしていたのですが、お父様が他界されたため、一人暮らしができないお母様のお世話を介護施設の方へ頼むことになり、空き家になりました。その後、近所の教会の宣教師が仮住まいを1年ほどしていたらしいですが、その家族も去ってしまい借り主を探すことにしたのだそうです。
話を聞くと大家さんとダンナさんに共通点が多く、面白かったです。まず、双子で長男だということ。次に、大家さんは宇宙開発エンジニアで、ダンナさんは機械工学エンジニアだということ。さらに、大家さんの母方はウィスコンシン州が田舎だと言うこと。
また、私たちが結婚した当初住んだミシガン州の家との共通点も多く見つかりました。空き家になった理由が同じ(父が他界、母が介護施設へ)。他界した父親の趣味が無線ラジオで、趣味のために家が改造されている(無線タワーを設置した跡があったり、普通の家には見られない複雑な電気配線)こと。階段がない平屋で、間取りがよく似ていること。面白いものですね。
契約が決まったので、引っ越し業者の選定に入りました。2社面談をしたと健康小貼士ころです。今日も1社面談します。引っ越し業者は、やはり家まで来て見積もりをしっかりしてくれるところの方が安心です。日本の引っ越し会社もロサンゼルスに多く使いたかったのですが、時期が3月ということでスケジュールに空きがない状態でした。地元の引っ越し業者の中でも、全国的に評価のしっかりしている大手傘下のところを選ぶことにしました。保証もきちんとしていますしね。
見積もりは、今のところ日本で静岡から東京へ引っ越した時の見積もりと同程度でした。これは梱包作業を含めばの話です。こちらでは作業員4人を雇って時給が150ドルから160ドル。見積もりの担当者さんたちは「梱包作業は自分でやるほうが一般的ですよ」といい、梱包作業を抜いた見積もりを教えてくれました。確かに、梱包作業を抜けば半額で済むんで安いですね。今まで会社の方で引っ越し代を支払ってもらっていたので、甘やかされていたわけです。
いろいろ引っ越しの段取りを勉強してみました。近所のホームセンターで段ボールを30個ほどと、梱包材やマジックなどを調達し、今週末から梱包を始めました。引っ越し屋さんの作業を見慣れてきたので、同じようなやり方でコツコツと作業をしているところです。二年前に開梱したことを思い出しながら。
あのまま、開梱しなければよかったぜ...と(笑)。それはないんですけどね。
先日、息子が環境の変化に不安がって泣いた話を記事に書いたのですが、その後はまったく泣きません。「泣いてもいいんだよ」と言うと「なかないもん」と言います。理由を聞くと、
「にんたいづよく、あきらめないように。」
という回答が。ほほう。「にんたいづよい」という語彙はperseveranceという大学受験用語レベルでした。私が彼の英語についていけなくなる日も近いです(汗)。しかし、学校で学んだこの言葉の意味を実生活にしっかり応用できているよね...いや、これを応用しなくちゃいけない生活ってのも考えものですが。ただ、人生は変化の連続ですから、忍耐強いということは大事なことではあります。
Posted by arvinliu at
13:07
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2015年12月03日
”ねえやん”と呼ぶには恐れ多い
つい先日、「中島みゆき RESPECT LIVE 歌縁」に安藤裕子さまが出たんだよ。。
それも研ナオコさんや大竹しのぶさん、中村中さん満島ひかりさんとかとか
物凄いメンバー!のコンサートに。
あああ
行きたかったなぁ。
でも、ちょっと遠すぎるし色々と大変な時期だから断念したのです。
そのオフショットを見ただけでもちょっと感動する。
安藤裕子さまの今年のライブは行けない;
(毎年行ってるわけでもない)
大学3年のこの時期?秋?かな・・
に、ズボッと足を踏み込んでからはもう、ずっと好きすぎて
歌はもちろん、手作りの色々、ファッション、メイクetc…
へこたれて落ち込んで自暴自棄になって不安で不安で仕方がなかった時に
救われたんだ。
さっきこの曲を聴いてそんなことを思い出した。
それも研ナオコさんや大竹しのぶさん、中村中さん満島ひかりさんとかとか
物凄いメンバー!のコンサートに。
あああ
行きたかったなぁ。
でも、ちょっと遠すぎるし色々と大変な時期だから断念したのです。
そのオフショットを見ただけでもちょっと感動する。
安藤裕子さまの今年のライブは行けない;
(毎年行ってるわけでもない)
大学3年のこの時期?秋?かな・・
に、ズボッと足を踏み込んでからはもう、ずっと好きすぎて
歌はもちろん、手作りの色々、ファッション、メイクetc…
へこたれて落ち込んで自暴自棄になって不安で不安で仕方がなかった時に
救われたんだ。
さっきこの曲を聴いてそんなことを思い出した。
Posted by arvinliu at
15:21
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