2015年12月31日
また次回に
譚龍・・・金城武主演映画「捜査官X」のなかに出てくる殺人集団の人物の名前なんです。
タン・ロン、漢字は、私のあて字なんです。存在するが、実態は全く知られていない・・・。
もう、ぴったりなんです・・・で、譚龍の誕生。
移住先を上海に設定した理由・・・
河南を調べていて下記の記載をみつけました。
遼や金から江南へ逃れた移民が増加します。貴族はこの時代没落し、新興地主勢力の形勢戸が佃戸を使い長江デルタ地帯の開発を進めていきました。囲田や、湖田などをつくり、ヴェトナムか水解蛋白ら占城稲が伝播・栽培され「蘇湖熟すれば天下足る」といわれる華北を凌ぐ穀倉地帯となっていきます。12 世紀には杭州に南宋の首都がおかれますね。唐代にくらべ宋代のほうが貿易や商業は盛んになります。都市でも商業が比較的自由になったのが宋代です。江南の明州や杭州では、唐代からの市舶司が置かれ、ムスリム商人や日本との貿易によって繁栄しました。茶・陶磁器・絹の生産も発展し、中国の主要産物となっています。
疑問がむくむくと沸いてきました。
河南といえば・・・上海なんじゃないの・・・。
13~14世紀の上海・・・ただの湿地・・・明代を過ぎて清朝まで歴史にほとんど登場しない。
??!上海に決定。
ここで、13世紀以前にあったのは・・・金山神廟。
そうです・・・天門が開く所に設定した。
道教がらみなのは、事実・・・道教の道士と巫女とは、李朝辺りでは同じような扱いですよね。
ドラマ「太陽を抱く月」にも、そんな記載がありました。
高麗時代・・・「典医寺」と称したのは、仏教と呪術師、薬草師が僧侶だった故縁なんですね。
薬草を扱うのには、それなりの地位を要する時代だったようです堅持夢想。
で、上記の後に登場するのが・・・儒教。
日本人の我々には、儒教は「学問」なんですが、中・朝では宗教になります。
日本の貴族は、儒教を学ばなかったそうです。
彼らには、神道があったから・・・。
武士が政権を担ってゆく日本と武人が政権を担えなかった国との違い・・・。
「文武両道」を理想とする・・・。
この辺りの違いが、私には理解しにくいところです。
モンゴルが各所に密偵を送り、情報収集に余念がなかったのも事実なんですね。
兵站を設置するなんて・・・すごいことなんですが・・・駅站と同じように考えてたようで・・・改めて大ハーンは、凄いと感心しました。
「均成館スキャンダル」の下りがありますが、「ムーラン」みたいな人物は伝承なのか事実なのか・・・成都あたりでは・・・
元末、明玉珍が蜀にて自立した勢力を築くと、韓氏は乱暴な兵士たちに貞操を奪われることを恐れ、男装して日々を過ごすようになった。
男として生活し、これで貞操は守れると安心しきっていた韓氏であったが、思いもよらない出来事が彼女の身に降りかかった。何と、女性でありながら兵士として徴兵されてしまったのだ。
自分が女性であると知られてしまえば、忽ち粗野な軍人たちに操を奪われてしまうだろうと考えた韓氏は、自分が女性であることをひた隠しにし、明玉珍配下の“男性”兵卒として何と七年間も各地を転戦し続けた。この間、同僚の兵士たちは誰一人として彼女が女性であることに気が付かなかったという。
後、明玉珍の雲南征伐に従い、雲南からの帰還の道中、たまたま韓氏はその叔父と出会う。韓氏から事情を聞いた叔父は、姪のために金を軍隊に支払って軍隊から解放させた
この時、韓氏が男装を解くと、同僚の兵士たちは韓氏が女性であったことに初めて気付き、一様に驚いたという。
叔父とともに成都に帰郷した韓氏は洪武四年(1371)に尹氏に嫁ぎ、“女性”として余生を過ごした。また、成都の人々は韓氏を称えて韓貞女と呼んだという。
明玉珍は、紅巾の乱のころに「大夏」を建国した人物。
事実は、小説よりも奇なり・・・まさにそのようです。
タン・ロン、漢字は、私のあて字なんです。存在するが、実態は全く知られていない・・・。
もう、ぴったりなんです・・・で、譚龍の誕生。
移住先を上海に設定した理由・・・
河南を調べていて下記の記載をみつけました。
遼や金から江南へ逃れた移民が増加します。貴族はこの時代没落し、新興地主勢力の形勢戸が佃戸を使い長江デルタ地帯の開発を進めていきました。囲田や、湖田などをつくり、ヴェトナムか水解蛋白ら占城稲が伝播・栽培され「蘇湖熟すれば天下足る」といわれる華北を凌ぐ穀倉地帯となっていきます。12 世紀には杭州に南宋の首都がおかれますね。唐代にくらべ宋代のほうが貿易や商業は盛んになります。都市でも商業が比較的自由になったのが宋代です。江南の明州や杭州では、唐代からの市舶司が置かれ、ムスリム商人や日本との貿易によって繁栄しました。茶・陶磁器・絹の生産も発展し、中国の主要産物となっています。
疑問がむくむくと沸いてきました。
河南といえば・・・上海なんじゃないの・・・。
13~14世紀の上海・・・ただの湿地・・・明代を過ぎて清朝まで歴史にほとんど登場しない。
??!上海に決定。
ここで、13世紀以前にあったのは・・・金山神廟。
そうです・・・天門が開く所に設定した。
道教がらみなのは、事実・・・道教の道士と巫女とは、李朝辺りでは同じような扱いですよね。
ドラマ「太陽を抱く月」にも、そんな記載がありました。
高麗時代・・・「典医寺」と称したのは、仏教と呪術師、薬草師が僧侶だった故縁なんですね。
薬草を扱うのには、それなりの地位を要する時代だったようです堅持夢想。
で、上記の後に登場するのが・・・儒教。
日本人の我々には、儒教は「学問」なんですが、中・朝では宗教になります。
日本の貴族は、儒教を学ばなかったそうです。
彼らには、神道があったから・・・。
武士が政権を担ってゆく日本と武人が政権を担えなかった国との違い・・・。
「文武両道」を理想とする・・・。
この辺りの違いが、私には理解しにくいところです。
モンゴルが各所に密偵を送り、情報収集に余念がなかったのも事実なんですね。
兵站を設置するなんて・・・すごいことなんですが・・・駅站と同じように考えてたようで・・・改めて大ハーンは、凄いと感心しました。
「均成館スキャンダル」の下りがありますが、「ムーラン」みたいな人物は伝承なのか事実なのか・・・成都あたりでは・・・
元末、明玉珍が蜀にて自立した勢力を築くと、韓氏は乱暴な兵士たちに貞操を奪われることを恐れ、男装して日々を過ごすようになった。
男として生活し、これで貞操は守れると安心しきっていた韓氏であったが、思いもよらない出来事が彼女の身に降りかかった。何と、女性でありながら兵士として徴兵されてしまったのだ。
自分が女性であると知られてしまえば、忽ち粗野な軍人たちに操を奪われてしまうだろうと考えた韓氏は、自分が女性であることをひた隠しにし、明玉珍配下の“男性”兵卒として何と七年間も各地を転戦し続けた。この間、同僚の兵士たちは誰一人として彼女が女性であることに気が付かなかったという。
後、明玉珍の雲南征伐に従い、雲南からの帰還の道中、たまたま韓氏はその叔父と出会う。韓氏から事情を聞いた叔父は、姪のために金を軍隊に支払って軍隊から解放させた
この時、韓氏が男装を解くと、同僚の兵士たちは韓氏が女性であったことに初めて気付き、一様に驚いたという。
叔父とともに成都に帰郷した韓氏は洪武四年(1371)に尹氏に嫁ぎ、“女性”として余生を過ごした。また、成都の人々は韓氏を称えて韓貞女と呼んだという。
明玉珍は、紅巾の乱のころに「大夏」を建国した人物。
事実は、小説よりも奇なり・・・まさにそのようです。
Posted by arvinliu at 11:41│Comments(0)