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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2015年11月30日

80代の強み

8
この夏、両親の家に行ったきのことだ。 

「新宿のルミネに行くには、南口でPretty Renew 銷售手法いいのかしらね?」

 と80歳を過ぎた母。

「新宿に行くの?食事会?誰と?」

「ヨン様仲間(母は韓国俳優のぺ・ヨンジュの大ファン)」。

 ファンクラブで知り合ったお仲間だ。とはいっても年に一度会うか会わぬかの付き合い。最年長は母、70代、60代、最年少は50代前半。年代が異なる7人が集まるのだそう。

「ほとんど知らないような人たちで、年齢差もあるのに話すこと、ある?」

「一番年上だから、気を遣って誘ってくれているンじゃないかしらね。誘われたら断らないのよ、お母さん」

 ふぅーん、誘われたら断らない、ね。



 ここ数年、高齢の両親とは立場が逆転Pretty Renew 銷售手法したような心持ちでいた。そういう年齢になったのだと。両親も「老いては子に従え」というふうである。週に1度は電話で話し、月に1、2度、顔を出しては、火の元に気をつけてね。歩いたほうがいいらしいわよ。

こんな具合に、教え諭すような言い方をわたしはしていたかもしれない。両親はしっかり暮らしているというのにね。

 それが、このたびの母の「誘われたら断らない」にハッとし、母の柔軟さを得心した。

 母には教えようなどどいう気持ちはなかったにちがいない。が、「あんたはどうよ」と自らに訊かずにはいられなかった。

 人が関われば気持ちやことばの齟齬はしょうじる。そのことで傷つき、だれかを傷Pretty Renew 銷售手法つける。意図せず傷つけていることも少なくはない。距離が遠くても近くても思い悩む。 それだから徒らに思い悩むことを避けるべくいつのまにか、いや、あえてわたしは交友範囲を狭めていったのだった。一人の気楽さをいいことに。

 誘われたら断らない。躊躇わず、身を置くとも言えるかもしれないなぁ。   


Posted by arvinliu at 12:18Comments(0)

2015年11月27日

ヒエラルキーを支えるもの

今、司馬遼太郎の『関ヶ原』を読み返しているが、
つくづく石田三成の性格の気の毒さを、シンパシーを感じつつ、思う。
彼に欠けているのは、先天的なヒエラルキー感覚である印傭
反対に、徳川家康は、ずば抜けてそれが優れていた。
江戸幕府という驚異的な長期政権の土台を築いたのは、先天的にタイプ6であった上に、後天的にも人質生活など慎重さを要する境遇によって鍛え抜かれた、家康のヒエラルキー感覚だったと思う。
先天的にヒエラルキー感覚に優れているのは、
 タイプ3・タイプ6・タイプ9
である。
他タイプでも、3・6・9の要素を持った人たち(タイプ3寄りの2や4、タイプ6寄りの5や7、タイプ9寄りの8や1)は、ヒエラルキーを重んじる王賜豪總裁
反対に、ヒエラルキーに縛られない価値観を持つのは、
 タイプ1と2の境界線(石田三成など)・
 タイプ4と5の境界線(竹中半兵衛など)・
 タイプ7と8の境界線(真田幸村など)
に近い人たちだ。
タイプ1・タイプ2・タイプ4・タイプ5・タイプ7・タイプ8の中寄りの人たちは、どちらにも柔軟に対処できる。
つまり、先天的性格として、
ヒエラルキーを重んじる派:重んじない派:中道派の比率は、
15:6:6なので、人間界にはヒエラルキーが在り続けるという結論だ。

私が、三成の残念なヒエラルキー感覚にシンパシーを抱くのは、
私自身がタイプ5寄りの4で、ヒエラルキーが苦手だからだ。
ヒエラルキーが、嫌いでもある。
しかし、無ければ集団は混乱するだろう。
ヒエラルキーが、必要なものだというのは分かる。
ただし、清潔なものに限ると思う。
人が2人以上集まれば、ヒエラルキーが生まれるのは自然の摂理。
ただし、それは固定されたものではなく、状況により変化するものである方が望ましい。
固定されてしまうと、不潔さが生じ、格差が開き、集団全体が不幸になる。
集団は、個々の尊重(ヒエラルキーによりその多寡はあっても)があってこそ、幸福を維持できる。  


Posted by arvinliu at 19:07Comments(0)

2015年11月25日

豆腐メンタルがくちゃっと潰れて

自分が万全の状態ではないことを、理由にしたくなくて、体調もこころも、それはあまえてもいことだと、病院の先生も職場の上司も長年の友人も言ってくれるのだけれど余近卿。迷惑をかけてしまうのが、わたしはいちばんつらくて。だって、頑張れるはずで、ぼんやりしていたから迷惑をかけてしまうのは、ひととしていけないことだって、思うんだ。知ってる、それでも、ゆっくりでいいんだよって、わたしのなかのひとり、ふたりさんにんも、大丈夫心配しなくてもみんなわかってくれるからってわたしをなだめる。きょうは元気だから大丈夫、明るい気持ちで家を出る。なんで? どうして? って思えていた頃は、気持ちだけつらかった。だけどいまは、もうふっきってしまったつもりでいるのに、見知らぬしんどいがじわじわ迫ってくる。今朝はとっても調子がよかったじゃない、おかしいな、どうしてかな、わたしたちこれまで生きてきて、存外メンタル図太かったじゃない、ストレスなんて、うわああああんって大泣きすればいつも、ふああって落ちつけていたじゃない余近卿。なにこれ、どうして胸がくるしいの、呼吸がしづらい、突然かなしくなったり不安になったり、男の人の大きな話し声が耳障り、大勢の人混みでまっすぐ歩けないのがこわい、階段使えてたのにエスカレーターに頼ってしまう、すぐ疲れる、ご飯を食べるとお腹が痛くなる、胃の中に空気がたまって張っているみたい、瞼が痙攣する、目が痛い、はやく帰りたい、起き上がれない、ねえ、なにこれ、おかしいよ、わたしちゃん、豆腐メンタル? そんなかわいいもんじゃない。もう、くちゃって潰れちゃったの? そんなまさか、わたしちゃん、いつも中途半端だから、もっとちゃんと頑張らなかったから、ひとと考え方ズレてたりするから、だから。知ってる、わたしちゃんは悪くないし、わたしちゃんはわたしちゃんのままでいいんだよ。やさしくしてくれるひとに、好きって言ってくれるひとに、頼って、でもぜんぶはこたえられなくて、それは最終的に失礼なことで、全然気にしないで利用してくれていいからって、でも、でも。でもって言い訳なんだ、わかってて言い訳してるんだ。やさしくされたいから、好きって言われたいから、抱きしめてほしいから、安心するから。自分本位はきらい余近卿。それは人を傷つける。わたしはそれで、知らぬまにくちゃってなってた。みんな、どうやってひととつきあうの。どうやって理解しあうの、わかりあうの、妥協を見つけるの、あるがままを認めあえるの、慕いあうの、ものすごく難しいね、どちらか一方へ簡単にかたよってしまいがち。それでも、やさしさは思いやりとなって、わたしは救われてしまう。ごめんなさい。ごめんなさい。だけど、これもひとりよがりかもしれない。人の気持ちは計り知れない。想像して、想像しうるものじゃない。素直に生きるのは、とてもむずかしいね。
  


Posted by arvinliu at 12:28Comments(0)

2015年11月19日

ピアノパラドックス

考えてみたら、私はどちらかというと「無調性」が嫌いなような気がする。音楽のそれも含めて、人間関係でも「無調性」はあまり好きでないどころか、元営業マンだから、マ逆。「他人との調性に奔走していた」ことになる迪士尼美語 價格

そして、私の「この営業マン体質」を、沖至、佐藤真、両師匠に、それとなく指摘される。「コケットリーは止めろ」と。

うーーーむ、孤高の音楽「フリージャズ」。そうだろう、音楽の名前に「フリー」が入っている。超絶的なジャンル名である。

この解釈が難しい。

しかし、である。前回のコンサートでの反省点がいくつかある。

私は謙虚とも違うのだけれど、私のユニット名を「裕イサオトリオ」とはしていない。もちろん、師匠の一人がメンバーの中にいる。それも、ある。しかし、バンドマスターはだれ? この疑問は残る。しばしば、真師匠に、それとなく指摘される。こういう謙虚は、ミュージッシャンの世界では、逆失礼にあたる。しかし・・・。うーーーむ、こういう迷いがいかんのである鑽石能量水

そう、まず、「裕イサオトリオ」とするべきであろう。そして、その日のコンサートのコンセプトをバンドマスターとして、はっきりとしないといけない。営業マン時代、こういう迷い、同じ迷いがあった。

そう、たぶん、本邦初公開になるはずだ、来週の火曜日は。

一切のメロディー、調性を私は弾かない。そのための練習なんぞ、ない。といいつつ、逆説的な方法が一つある。

私が自分で作ったメソッド「ドラゴンへの道」。音階は12。長調短調を入れると24。その各音階の私のメソッドパターンが50。掛け算すると、1,200通りのコードパターン。これを欠伸しながら弾ける訓練を始めたのである。こういう訓練の果てに、とんでもない音が現れるのかも知れない。

だぁーーーら、ピアノも人生も同じ。そう、どんどん型の勉強をする、覚える、そして、ぶち切れる。そこに、「あなた」という「固有名詞」が現れる。私はジェントルサディストなのだけれど、そう、自分に対してサデック。分かるかちら、こういうパラドックス? あっ、「メビウス王 久保はつじ」という記事、下書き保存されているのだ。わっ!  


Posted by arvinliu at 13:22Comments(0)

2015年11月16日

海洋調査船「海洋6号」、来年は南極に進出

中国地質調査局広州海洋地質調査局の海洋調査船「海洋6号」は10日、197日間に渡る6万キロ弱の航行を終え、広東省東莞市に帰港した。新華社が伝えた。

海洋6号は今年4月28日に広州市を出発し、太平洋西部・中香港風水師央・東部を跨いだ。8機関の121人が、各海域での調査を実施した。海洋6号が担当した2015年深海資源調査は、77日の時間を費やした。海洋6号はこのほか、中国大洋第36回航行の任務を遂行し、さまざまな成果を手にした。これには中国と海外の海底管理局が契約したコバルトリッチクラスト調査が含まれ、マルチビームエコー計測の新技術の多金属団塊・コバルトリッチクラスト資源調査エリアにおける活用などが実現された。中国が独自に開発した水深4500メートル級無人潜水艇(ROV)「海馬号」は、コバルトリッチクラスト契約区の調査に初めて投入された。これは中国の海山エリアの資源・環境調査の手段の空白を埋めた。

広州海洋地質調査局のシニアエンジニア、海洋6号の総首席科学者の何高文氏は、「海洋6号は来年、約300日をかけて南極の新たな科学調査の任務を遂行する」と述べた。  


Posted by arvinliu at 11:53Comments(0)

2015年11月10日

唱歌『椰子の実』に思う*三月は旅立ちの季節

 私の住む街には大学がある。二月中旬のことである。この白鳳丸功效校舎の前を通った時、全国各地からやって来た大勢の若人達でごった返していた。入学試験のようである。彼らのうち、実際にこの大学へ入学できるのはごく一部かもしれない。しかしながら、前途有望な若人達が一堂に会する様は実に壮観である。溌剌とした彼らを眺めているうちに、私は思わずある歌を口ずさんでいた。

  名も知らぬ遠き島より
  流れ寄る椰子の実一つ
  故郷(ふるさと)の岸を離れて
  汝(なれ)はそも波に幾月
    
 島崎藤村作詞の『椰子の実』である。三月は別れの季節、そして旅立ちの季節、進学や就職を機に、これまで育んでくれた郷里を離れ、志を持った若人達が続々と都会へ押し寄せてくる。未だ世間の垢に汚れていない純粋な若人達が、新たな大地に根を張ろうとする姿は実に清々しい。まさに流れ寄る椰子の実達である。
 
  旧(もと)の木は生いや茂れる
  枝はなお影をやなせる
  我もまた渚を枕
  孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ

 思い出せば、私とて彼らと同じ時期があった。親の反対を押し切っ王賜豪醫生て上京してから幾星霜、親の束縛から逃れたい一心だった少年も、不思議なもので歳をとればとるほど純粋な心は濁りを増し、反骨心は衰退した。あの時見送ってくれた両親も、もう共に逝ってしまった。私は今、あの頃の父母と同じ年齢に差掛かろうとしている。世間の垢にまみれ、未だ大業を成し得ない自分がもどかしい。だからこそ、純粋無垢な彼らが愛おしいのかもしれない。
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 三月は別れの季節、そして旅立ちの季節。しかし、それは決して眼の前の椰子の実君ばかりではないようである。名も知らぬ遠き大地より、遥々飛んできた黄砂も舞い降りる。名も知らぬ遠き山を飛び立った花粉もまた舞い降りる。近頃、目が痒い。涙が止まらない。しかし、この涙は決して流離の憂からくる涙ではないから味気ない。しかし、純粋ゆえに傷つきやすい若人達には、必ずや本物の憂を抱く日が屹度訪れる。故郷の岸を思い出しては頬を濡らす時が必ずやって来るだからこそ、後悔のないよう立派に成長してもらいたいものである。
  
  実をとりて胸にあつれば
  新なり流離の憂
  海の日の沈むを見れば
  激り(たぎ)り落つ異郷の涙
  思いやる八重の汐々
  いつの日にか国に帰らん

 私の故郷の岸には、もはや私を育んでくれた椰子の木の姿はない。親木もまた彼の岸へと行ってしまった。彼の岸といえば、もうじきに春分の日を迎える。春分と秋分の夕暮れは特別である。冬の間は南寄りに沈み、夏の間は北寄りに沈む夕日も、この時ばかりは真西に沈む。だからこそ彼岸の中日と呼ぶ。彼の岸、西方浄土を目指して沈んで行く夕日を無駄に見送るのは実に勿体無い。「墓参りにでも行ってみようか」そんな気にさせる。

 その時ばかりは私とて、正真正銘、流離の涙を浮かべるのかも知れない。  


Posted by arvinliu at 12:12Comments(0)

2015年11月04日

「ゆとり」の矜持

 『リーガル・ハイ2』が先日フィナーレを迎えた。最終回の視聴率は18.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、同じ堺雅人が主演の『半沢直樹』のそれが40%を超えたことを思うと敗北感がなくもないのだが、個人的な面白さは本作の方が明らかに、「倍返し」ならぬ「倍以上」であった。堺雅人の長尺の台詞回しには毎回舌を巻いたが、とりわけ最終回における、岡田将生演じる羽生晴樹と対峙する法廷での弁舌は、演者が役柄に入り込んだというより、「古美門研介」という役柄が演者に憑依したと言って差し支えのないものであり、これにはもう、圧倒される他なかった。ただ、それ以上に度肝を抜かれたというか椅子から落ちそうになったのは、羽生晴樹のあの“衝撃の結末”である美白精華日本樓房ips 整容
 
 その羽生晴樹は、「ウィンウィンでいこう」、「つながってるよね」を口癖とし、「天性の人たらしで、誰とでもボーダーレスに付き合うことのできる“最強のゆとり世代”」(公式サイトより)として描かれた。今シリーズで、彼の言動の一々にいらっとしてしまった私は、製作サイドの術中、あるいは岡田将生の演技力にまんまと陥落されたということだろうが、この“最強のゆとり”というキャラクター付けは、巷間で揶揄的に言われる「ゆとり世代」というラベリングに一石を投じたと解釈するのは些か付会が過ぎようか。
 
 そういえば最近、興味深い記事を目にした。「大学生意識調査プロジェクト FUTURE2013」(公益社団法人東京広告協会主催)が発表した、「大学生のゆとり教育」に関する意識調査である。駒沢・上智・専修・東洋・日本の各大学3年の有志からなるこのプロジェクトが、それぞれの大学で160名ずつ、計800名の学生を対象に行った調査結果は、『「ゆとり」の現実 「さとり」の真実』と題した報告書にまとめられた。これによると、「ゆとり世代」は、「ゆとり」の自覚と、そう呼ばれることへの抵抗感の有無とでマトリックス化することで、4つのタイプに分類されるとしている。詳細はこちら をご覧いただければと思うが、自らを「ゆとり」と認めて抵抗も覚えない『真性ゆとり層』が全体の3分の1を超える285人に上った一方で、自覚しつつも抵抗感がある『あせり層』、「ゆとり」呼ばわりを気にかけない『つっぱしり層』、自分がそうだとは思わないが言われると抵抗を感じる『きっちり層』もいるのだとし、「ゆとり世代」の多様性を示した。そして、そうした結論を踏まえて「ゆとり、ひとくくり、もううんざり」というフレーズでまとめ上げたのには、なるほどと唸らされた。
 
 第59回でも記したように、勤務先の私が所属する部門には、この春から3名の新卒を迎えている。数年前には「すわ、いよいよ平成生まれの新卒が入ってくる」と慄いたものであるが、昨今では「どうやら、とうとうゆとり世代が入ってくる」という構えへとシフトしている。この3名は正にその「ゆとり世代」である。入社して早や9カ月を経ようとしているが、夏頃、面白いことに(と言っては彼らには気の毒なのだが)、3人が3人、全く同じ壁にぶち当たったのである。ところがもっと面白かった(無礼がしつこい)のは、壁にぶち当たったときの処し方が、それぞれに全く異なったのである。
 
 1人目は、旧帝大出のイケメン男子。流石に頭の回転は速く、原因分析とその対処法を、極めて冷静に考え、自分の考えを述べた。およそ「ゆとり世代」とは思えぬ明晰さである。ただ、理論と実践はまた違うのであって、そうやすやすと青写真どおりには解決しない。2人目は、私大出の女子。毎晩米3合を炊いてはぺろりと平らげるバリバリの体育会系だけあって、壁は「乗り越えるもの」というよりは「ぶち破るもの」と思っているらしく、ぶつかり稽古を何度も試みる。しかしそこはやはり女の子。厚い壁に当たって砕けて満身創痍、最後にはよよと泣いてしまった。3人目は、地元の公立大を出た男子。飄々として危機感もなく、「それの何が問題なのか」といった風である。つまり、壁にぶち当たるどころか、壁の10メートル手前で座り込んでいるような感じなのである。
 
 おそらく、『真性ゆとり層』に当たるのは3番目で、1人目は『きっちり層』、2人目は『つっぱしり層』なのだろう。先の報告書を読みながら、この3人の姿がまざまざと想起されて、思わずほくそ笑んでしまった。たった3名の新卒ではあるが、それでも三者三様、「ゆとり世代」の多様性を実感した次第だ。
 
 そもそも、「ゆとり教育」を推進したのは大人たちで、彼らや彼女たちは好きこのんでその時代を生きた訳ではない。その意味では「ゆとり世代」である彼らや彼女たちは“被害者”である、という考え方もできる。もとよりこれを提唱した人たちは、まさか10年後、「ゆとり」という言葉が揶揄的に用いられ、その世代が社会に出てひとくくりの嘲りの対象になろうとは夢にも思っていなかっただろうが、なればこそ、彼らや彼女たちから「ゆとり」のレッテルを剥がしてやるのは、大人というか年長者の務めであろうと思えてくるのだ。
 
 そこで私は、件(くだん)の3人には、一律ではなく、それぞれに合った育成を施した。1人目の『きっちり層』にはPDCAサイクルに基づく実践を促し、2人目の『つっぱしり層』には冷静に物事の本質を見極めることの必要性を説く。そして3人目の『真性ゆとり層』には、とりあえず立ち上がって、壁のあるところまで走っていけと尻を叩いた。いずれにしても、古びた徒弟制度よろしく、「俺の背中を見て学べ」なんて居丈高なことを言っても何の進歩にもつながらないことだけは確かであるから、各々のタイプにフィットした、「構ってあげる育成」を心掛けている。
 
 「ゆとり世代」を作ったのは我々より一回りかもっと上の世代であるが、20代を「失われた10年」の中で過ごし、それに何の楔を打ち込むこともできないまま壮年期を迎えた結果、もしかしたら「失われた30年」にしてしまうかもしれない我々にだって負うべき責任はあるだろう。そんなことを考えながら『リーガル・ハイ』を見ていると、羽生が言うところの「ウィンウィンな関係」って、もしかしたらこういうことを言うのかもしれないと思えてくる。私は自身の職責を全うしながら、しかし一方でこの「ゆとりちゃん」たちに、「『ゆとり』の矜持」というものを、いつか抱かせてやりたいと思うのだ。  


Posted by arvinliu at 13:20Comments(0)