2016年01月25日

趣味のダンスは足腰が

ある時は、台所の流し台に立っていた時、
またある時は、義母の一方的マシンガン・トークを延々と聞いていた時reenex


昨日、本屋に寄った。
寂しがる実母に、なにか絵画集か、仏教系の本でもないかと探した。
広大な売り場面積を誇る書店であったが、わたしのイメージする本はなかった。
母は、びっしりの活字はもう、読む気力がないだろうから、
こころやすらぐテイストの絵画と、1ページに一言、禅の教えみたいなものはないかと、本屋中をうろうろした。

で、仏教コーナーあたりで、並べられている本に書かれている、幸せへの指針みたいな内容を見て、思った。
あれ?なにこれ?
これ、わたしが実践していることと同じ、思っていることと同じだ、と。
仏教界の幹部か、お坊さんになったのか? わたし?

足るを知る、だとか、一期一会だとか、昔から聞き知っている内容ばかりだ。
わたしの場合、生煮えで、精進していないから、生身の分だけ生臭く、煩悩いっぱいである。
でも、ほんの少し、悟りをひらくこと、煩悩を少なくすることが、幸せへの近道であるということをこと最近、感じはじめているようだ。

ただ、同時進行して、困った事態が起こっているreenex
脳みそ破壊。
ぼけぼけになっている。

記憶力減退、理解力ダウン、モノを探せない、置いたところを忘れる、、、、、
バスの乗降時、平気で間違った回数券をかざす、つっこむ、取り忘れる、
おツリの計算は、めちゃくちゃ適当、
煩悩を忘れるついでに、実世界、実社会のルールや決まりごとも忘れる。

これって、美しい幸せの国、あの世に一歩近づいてきているのではないだろうか。
しかも、精神世界。
わたしは、体は丈夫、病気知らずの健康体なので、
アタマだけ、美しい国へ。ぼけぼけの、兆候、大。
ああ、母のDNAを強く感じる瞬間である。

ちなみに、もうじき還暦というものの、まだどうにか50代末席であるので、ちょっと早いような気がする。
一方が立てば、一方が立たない。
両立って、難しい。
が、バランス感覚を磨いて、清く正しく美しい、正統で正当な「老化」へ、まっしぐらに突き進んでいこう。

わたしはアンチエイジング主義ではない。
大きな自然の流れに、しゃかりきになって逆らっても、ストレスがたまるだけreenex
本末転倒である。
なので、老いをすんなり受け入れる方向である。
副作用として、悟りも、ぼけも、両方受け入れることになるけれど。



Posted by arvinliu at 11:43│Comments(0)
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